「そろそろ仕事を譲りたいけど、誰かやりたい人がいたら教えて」
51歳のある日、私は仕事を終えて翌日の準備に立ち寄った事務所で、顔なじみの後輩にそう話しました。
誰か適任者を紹介してもらえれば、というつもりでした。
ところが返ってきたのは、「自分がやりたい」という思いがけない答えでした。
私は以前から沖縄への移住を考えていました。ただ、実行するのはもう少し先の予定でした。仕事をあと3〜4年続ければ、その分の収入も得られます。
それでも、この機会を逃せば、自分の仕事を引き受けてくれる人はもう現れないかもしれない。そう考え、予定を早めて仕事を譲る決断をしました。
あれから15年。今振り返っても、人生の大きな分かれ道だったと思います。
私の仕事は、浄化槽の故障を直す特殊な修理だった
私は40歳頃から、住宅やビルに設置された浄化槽の修理を自営業で行っていました。
主な仕事は、亀裂などによって漏水した浄化槽を直すことです。漏水を放置すれば、悪臭や周囲への影響につながるため、必要とされる仕事でした。
大分を拠点に、九州各県、時には山口や広島まで車で向かいました。
しかし、誰でも気軽に始められる仕事ではありません。
浄化槽の仕組みを理解している必要があり、狭く、汚れやにおいのある場所へ入ることもあります。有機溶剤を使い、酸欠にも注意しなければならないため、安全管理が欠かせませんでした。
修理は一度で終わるとは限りません。再び不具合が起きれば、もう一度現場へ行き、原因を確かめて直す責任があります。
技術だけでなく、現場ごとの判断と、最後まで対応する覚悟が必要な仕事でした。
44歳から沖縄移住を考えても、仕事を置いてはいけなかった
沖縄で暮らしたいと具体的に考え始めたのは44歳頃です。
しかし、私が「辞めます」と言えば終わる仕事ではありませんでした。修理を待っているお客様がいて、取引先があり、車両や道具もあります。
何より、特殊な仕事なので、頼める人が急にいなくなれば周囲が困ります。
沖縄への気持ちはありましたが、仕事の引き受け手を見つけられないまま移住するつもりはありませんでした。
だから、後輩が「やりたい」と言った瞬間、驚きと同時に、ほっとした気持ちがありました。
彼は、私が以前勤めていた会社へ入社したとき、一年間私の下で働いたことがある人です。その後も同じ敷地で顔を合わせる機会があり、人柄も仕事への向き合い方も知っていました。
この人なら任せられる。
そう思えたことが、予定を早める一番の決め手でした。
迷ったのは、まだ働けるのに手放してよいのかということ

当時の私は51歳です。
体は動き、仕事も続けられました。「辞めるには少し早いのではないか」という迷いは当然ありました。
仕事をあと3〜4年続ければ、その期間の事業所得を得られます。それを自分から手放すのですから、簡単な決断ではありません。
一方で、健康への心配もありました。
狭い場所でFRPを削ると、換気をしても粉じんを完全に避けるのは難しく、作業後は体中が粉まみれになることがありました。いつか体調を崩すのではないかという不安を、以前から抱えていました。
収入を得られる数年間と、体への負担を減らして沖縄へ移る時間。
どちらが必ず正しいとは言えません。私の場合は、信頼できる後継者が現れた今が、自分にとっての区切りだと考えました。
引き継ぎには、約1年をかけた
後輩は、勤めていた会社を円満に退職し、約1年間、私と一緒に現場へ出ながら仕事を覚えました。
口で手順を説明するだけでは、修理の仕事は引き継げません。
現場の状態をどう見るか。どの道具を使うか。安全をどう確保するか。一度で直らなかったとき、どう対応するか。
実際の仕事を一緒に進め、その場で考え方を伝えていきました。
最終的には、使っていた車両と道具を渡し、取引先にも経営者が変わることを説明しました。屋号は変えず、仕事を続けてもらう形です。

中小企業庁は、事業承継で引き継ぐ要素を「人」「資産」「知的資産」に整理しています。知的資産には、技術やノウハウ、信用、取引先との人脈なども含まれます。詳しくは中小企業庁の事業承継を知るで確認できます。
私が当時行ったことも、後から振り返れば、この三つを一つずつ渡す作業でした。
車と道具を渡す
現場へ行くための車両と、修理に使う道具類を引き継ぎました。形のあるものは見えやすいのですが、それだけでは仕事は続きません。
技術と判断を伝える
同じような故障に見えても、現場によって状態は違います。約1年一緒に働いたのは、作業手順だけでなく、状況を見る力を伝えるためでもありました。
取引先へ説明する
お客様や取引先にとっては、誰が責任を持つのかが重要です。経営者が変わることを伝え、これまでの関係を次の人へつなぎました。
最後まで対応する責任を渡す
うまく直らなかったときに、もう一度現場へ行く。その責任まで引き受ける覚悟がなければ、仕事を渡したとは言えません。
金額より、この人なら続けてくれるという安心を選んだ
仕事を譲る条件だけを見れば、もっと時間をかけて有利な相手を探す考え方もあったでしょう。
私の場合は、できるだけ高く譲ることより、知っている人に仕事を続けてもらえることを優先しました。
後輩にとっても、会社を辞めて自営業を始める大きな決断です。私だけが得をする条件では、よい引き継ぎにはならないと思いました。
だからといって、私のやり方が誰にでも合うとは限りません。契約、税金、借入、許認可などが関わる場合は、専門家や公的な相談窓口への確認が必要です。
各都道府県には、事業承継について相談できる公的な事業承継・引継ぎ支援センターがあります。
今なら、相手が見つかる前から、仕事の手順や取引先、道具、契約を整理しておくと思います。後継者が現れてから準備を始めるより、落ち着いて判断できるからです。
手放した収入と、得た時間
予定より早く仕事を譲ったことで、私は3〜4年分の事業所得を手放しました。
その代わりに得たのは、沖縄へ移れる喜びと、体への負担が大きい仕事から離れる時間でした。
何かを選び直すとき、得るものだけということはありません。
移住を選べば、慣れた仕事や土地から離れます。仕事を続ければ、安定した収入は得られても、やりたいことを先送りにするかもしれません。
私は、何を失うかを分かったうえで、それでも進みたいほうを選びました。
51歳で沖縄へ移って15年。旅行では分からなかった不便さもありましたが、今はこの選択をしてよかったと思っています。移住後に分かった暮らしの違いは、沖縄移住の理想と現実に書きました。
人生の節目は、年齢より「任せられる人」が現れたときだった
私は、何歳になったら仕事を辞めるという年齢だけで、引退を決めたわけではありません。
仕事を理解し、責任を持って続けてくれる人が現れた。自分の健康と、沖縄で暮らしたい気持ちを考えると、その機会を逃したくなかった。
それが51歳で決断した理由です。
もし今、自分の仕事をいつまで続けるか迷っているなら、辞める日を先に決めるだけでなく、「何を、誰に、どのくらいの時間をかけて渡すか」を考えてみるとよいかもしれません。
仕事を手放すことは、積み重ねてきたものをなくすことではありません。次の人が続けられる形にして渡せれば、自分が離れた後にも仕事は残ります。
そして、空いた手には、次の人生を選ぶ余地が生まれます。
60歳で完全に仕事を離れた後、私が何を始めたのかは、定年後、何をする?66歳の私が「まだ挑戦する」と決めた理由にまとめました。
私にとって仕事を譲った日は、沖縄へ向かう日より少し前に始まった、人生後半の出航日でした。
